黎明期のデジタル一眼 Nikon D100
幼少の頃、とあるきっかけから野生動物の研究施設に入り浸ることとなりました。結局施設との縁はずいぶん長い間続いて現在でもお世話になっています。
施設事務所の壁を眺めると、無数のラックにはデジイチとレンズが怒涛のようにズラリ。そのほとんど全てがNikon製でした。随分と寛容な施設で、D3Sにテレコン付き大砲レンズを付けたような”迫撃砲”を小学生に背負わせてくれたのです。初めて触れるカメラ環境がここまで尖っていたせいもあるのか、カメラ=Nikonというインプリンティングが立派に成立してしまったのでした。
(Nikon D100 / AF-S DX Nikkor 35mm f1.8G)
(人生最初のデジタル一眼レフ Nikon D100と某DX専用50mm単焦点で撮った自宅横のふきのとう。黎明期のボディですが非常に”キレイに”写るので大好きです。ボディの特性なのかはたまたレンズの影響なのかはわかりませんが、エッジの収差はかなり強烈です)
筆者が初めて自前のカメラを手に入れるのは成人後、職場でセミプロ的活動をしている登山愛好者から唐突にカメラを譲ってもらったのがきっかけでした。
大変ありがたい話で勿論喜んで受け取りましたが、譲れるレベルのデジイチなのですから、当然とんでもない化石が出てくるわけです。
そうして私が初めて手に入れたのが、デジタル一眼黎明期の一品、2002年発売のNikon D100(詳細は適宜ググってください。中古で1万円ほどです)。
(Nikon D100 / AF-S DX Nikkor 35mm f1.8G)
(支笏湖周辺の施設にて。チョロいのでダンディ祖父と孫の取り合わせは見かけるだけで無条件に目頭が熱くなります。白背景に黒い被写体が乗っかるとより明確に収差の影響が見て取れるかと思います。個人的には一つの味と感じるので気にならないのですが)
35mmフルサイズセンサの開発は2008年までお預けとなるため当然ながらセンサはAPS-CサイズCCD、画素数は610万画素、現行iPhoneのちょうど半分の画質です。記憶媒体はSDではなくコンパクトフラッシュ(ご存知でない方もいたりして)で、もちろん処理エンジンもまだまだ未発達なのでRAWで4枚ほど撮影すると書き込みのために1分ほど撮影がお預けになります。
シャッターユニットはうろ覚えですが何かしらフィルム一眼のユニットをベースにしていると読んだことがあります。D750や800のあのソリッドなシャッターフィーリングからは想像もつかない、シャコーーン(残響)という非常に独特でクセのある感触がやみつきになります。レリーズボタンのモニャモニャとした感触はどうにもいただけないのですが……
(Nikon D100 / AF-S DX Nikkor 35mm f1.8G)
(エゾシカの多分メス。こちらを視認はしているが、そこまで避ける気は無い。北海道においてはありとあらゆる国道で彼らとエンカウントします。そして誤って彼らをミンチにしてしまった場合、ほぼ確実に我々の愛車もミンチになるのです。可愛い)
Nikon製デジタル一眼の中古市場では面白いことに、1200万画素フルサイズのD700が「画素は低いが出力画像に妙な味がある」という理由からここ1〜2年ほとんど値下がりを見せないまま初代α7と同等程度の中古相場を保っています。
D700の作例を調べてみると確かに、確かに霞がかかったようなフィルムライクな暖色傾向の出力がなされているような気がしないでもありませんでした(調べた当時急激に購買意欲が高まりネット中古を漁り続けたのは秘密)。
(Nikon D100 / AF-S DX Nikkor 35mm f1.8G)
(支笏湖外縁を北から東へ四半円ぐるりと回る国道453号線。晴れてキラキラと輝く水面もよろしいですが、霧にけぶった曇り時もジャーマンテクノのアルバムジャケットみたいで大変よろしいのです。支笏湖へのリスペクトを込めながら909Stateを流しましょう)
時代相応のポンコツ具合を示すD100ですが、実は一つだけ大きなメリットが存在します。
D700のように出力画像がフィルムライクなのです。かなりクセまみれ。個人的な感想でしか無いのですけれども、非常にコッテリとしたクセのある暖色強めの出力画像となります。
デジタル一眼黎明期の製品ですから、個人的にはジェネレータの開発も調整もフィルムカメラの延長線上で行われたとか結構単純な理由からなんじゃないかと思いますが、とにかくかなり独特な写真を撮影することができるのです。
(Nikon D100 / AF-S DX Nikkor 35mm f1.8G)